人生には岐路がある。
迷い、深刻になり、結果を恐れるのは当然のことだと思う。
ああしろこうしろという種類の知恵はたくさんあるけれど、真実を教えてくれる知恵とそこへの道しるべはこの世に少ない。
絶対に間違いのない道をいきたい。自分ならそう思う。
もうこれ以上間違いたくないし、いい加減失敗から学びたい。そう思った。
これ以上傷つきたくないし、自分に絶望したくないし、そんな自分のまま生きていたくない。
考えれば考えるほどそうとしか思えなかった。
なにがそれを可能にしたのか。
たくさん過去を癒して、鍛えて、新しい違う自分を手に入れたからなのか。
そうではない。
そのことを伝えたいと心底思う。
それは「この世はない」ということを(神から)教えられたからだ。
あの世はないと思っている人はいるかもしれないけれど、この世はないということを教えてくれる人はいなかった。
この世があり、あの世がこの世の延長だと思うのはとても恐ろしい。
子供の頃、死んだら無になりますように!と毎日祈っていた。
それは既にその頃、この世の矛盾や混沌を痛感していたからだと思う。
死んだら消えてしまうと思うとこの世は虚しい、と言う人もいる。
でもこの世がない、という教えはそのどれとも違う。
神はこの宇宙を創らなかった。だからこの宇宙はない。
ただ唯一の無限の、ひとつの神だけがある。
それが答えだった。
それまでの疑問、どこまでいっても矛盾するこの世の教えのすべてがクリアになった。
初めて「信頼すること」が可能になった。
愛とか信頼ということを、分離した神や有限の考え方に対して抱けるだろうか。
対立し争い、与えたり奪ったりするおかみに対して抱けるだろうか。
子供の頃にお母さんに完全に依存できることが愛だとからだは思っている。
そしてお母さんの不完全さに絶望し、自分の修復を始める。
それがインナーチャイルドとこの世で呼ばれるもの。
でも本当は、違う。全く違う。
本当は、この世に完全があるという錯覚に気づき、その錯覚を手離し、本当の完全をみつける旅なのだ。
なにがきっかけでもいい。
この世のマトリックスに疑念を抱き、悪夢から覚めようと試みてみることなのだと思う。
そして、本当の信頼というものを取り戻す旅。
この世の人間が嫌いで、宇宙の先輩的な存在なら信じられると思っている人もいるだろう。でもいったいその先輩は何に対する先駆者なのだろう。
結局その先輩たちを選別しなくてはならない。どこまで行ってもやっていることが変わらない。
神はこの宇宙を創らなかった。この矛盾と狂気と殺戮の宇宙を。
他人の目が気になるというのはこの宇宙映画を本気にしていることだ。
夢から覚めて、真実に戻ろう。
本当は分離した魂すら存在してないという、完全な世界。
魂は一つしかない、という世界。
前世の記憶すら、誰かが見た夢をただ拾っているだけ。
夢から目覚めるきっかけに過ぎない。
私は前世を信じていないと思う。それを実在だと思っていない。
それは記憶であり、記憶を事実と錯覚している私たちがいる。
それは、肉体を自分だと錯覚していることと同義だ。
記憶を事実だと錯覚して、それを真実だと信じてしまうなら、真実を見ることができない。だから、錯覚から目覚めて真実に戻ることなのだ。
私と一緒に体験してもらえればわかっていただけると思う。
多くの人が混乱している。絶対に手に入らないものを入ると信じて奮闘している。
そして確実に手に入る、最も大事なものをいつも後回しにしている。
一秒でも早いほうがいいのは、目覚めだ。
この肉体にあるうちにしか、真実という体験はできないのだから。