みなさん、こんにちは。
ひと月ほど前に57歳になりました。
メッセージくださったみなさん、ありがとうございます。
今回だけでなく、お誕生日ごとにたくさんメッセージをいただきました。
その中には、私が最も求めていたと感じるメッセージがたくさんありました。
この世に生まれ、生きてくる中で、自分自身に価値を見失ったことが多々ありましたが、それを埋め合わせる以上の幸せな祝福をくださったみなさんに感謝します。
そして、私も誰かに、みなさんに、そんな祝福がしたいです。
さて、今日はまた動画を紹介します。
思えば2009年に沖縄に渡ってすぐに、スーザン・ボイルという人を世界に知らしめた「ゴット・タレント」。
私も20年以上前NYに渡り、行った先で知ったヴィレッジ・アンダーグラウンドのオープンマイクにチャレンジしてスタンディングオベーションをいただき、それからアポロシアターのオーディションにもチャレンジしたりしていました。
夫と出会う直前のことです。
この50年で、世界のなにが変わったって、日本人のフィギュアスケートやダンス、アートの表現力ではないかと思います。
物心ついた時から歌って踊ってが好きでしたが、日本人にはそういったセンスがないと思ってきました。
大学(玉川大学芸術学科)の民族舞踊の先生も「日本人はリズム感やパッションが希薄」と評していましたし、芸能一家に育ち、両親から口を揃えて言われて育ってもいました。
一流になれないものはやってはダメ。タップダンスやミュージカルにも近づいてはいけない、と。
で、まずはご覧ください。
さて、チビユニティーという新潟のチームだそうです。
昨今、ダンスのスキルやテクニックってとても高くて、ちょっとやそっとで真似できないことをみんなやっているように見えるのですが、正直このパフォーマンスは、そういう感じを受けませんでした。
どう感じたかというと、これはダンスではなく演劇で、踊っているのではなく演じているんだ、と。
後でインタビューの動画を見たら、彼らは「演舞」という言葉を使っていました。
そうなんだと思います。
演劇にもいろいろありますが、このパフォーマンスに私はとても近しい感じを受けました。
衣装も、全員同じパーカーとスウェット。衣装替えすると白のTシャツ。
脱いだ服を小道具として使う、など。
多分、容姿の見栄えで感動させるみたいな人たちではありません。
でも私に言わせると、演劇で一番かっこいいのはこういうやつです。
もしかしたら一人一人の動きで言えば、もっと動ける人はたくさんいるし、テクニシャンはいくらでもいると思う。
でも、それにかかわらず審査員が満場一致、以心伝心で彼らにゴールデンブザー(トーナメントを全部通過して決勝に行ける特別な賞)を与えるんです。
もう一度言いますけど、演劇で一番かっこいいのはこういうやつです。
これが現代で人の心を打ち、しかもまっとうに評価されているというのを見て、ああそうなんだ、世界はこうなったんだ、という不思議な感慨を感じました。
そこにある、人の心を打つものの正体ってなんでしょうか。
パッションとかエモーショナルという言葉では説明しきれません。
もしこれが自我の感情の凝縮なのであれば、それは普遍的ではありえません。
でも言葉を超え、文化を超えて、人の心を揺さぶる「なにか」が私たちには確かにあります。
演劇や演劇的パフォーマンスを観るために劇場へ足を運んだことがある人が世界にどれくらいいるのかわかりませんが、いわゆるドラマは映画やテレビでも見ることができます。
戯曲や小説や漫画でもストーリーを味わうことができます。
けれども確実に、これは演劇でしか表現できないだろうなと思うなにかがあります。
それは自我の感情を超えた深くて巨大な感情のようなものです。
例えばストーリーの悪役を演じていても、それを演じて舞台に立っている人の存在に感動する、という感じです。
伝わりますでしょうか。
演劇の稽古を重ねていくと、こういうのは自然に共有できるようになります。
何度も何度も同じシーンを繰り返し稽古していて展開はわかりきっている場面なのに、その場面を見たい、何度でも味わいたい、と誰もが惹きつけられるような感じです。
しまいには、その感情だけを取り出して表現することも可能になります。
人と人との交わりの中で極限を超えた思いが交錯するとき、激しさや静けさに関係なく起こる、溶け合うような、すべてがこのためだったと思えるような、そういう感覚です。
そこにはストーリーとか役の感情を超えた、もっと大きな普遍的ななにかがあります。
潜在意識に波紋が広がり引き裂かれ、その奥底から否応なく差し込んでくる光のような、そしてそれを目撃する誰もが無言のうちにひとつのものを味わいつながる一体感のような。
多分それは、魂のもたらすなにかです。
私は演劇と出会い、演じている時にしかそれを体験できないと思っていました。
だから演劇を失ったらその神聖なこの世を超えたなにかを味わうことができなくなることを恐れていました。
でも神は、私にその制限を超えるよう導きました。
そしてそれは特別な、或いは突発的ななにかのなかではなく、本当に存在するすべてなのだと教わりました。
それが祝福です。
みなさんに祝福を。
感謝とともに
AZU拝