基本に立ち返ります。
私たちは、常に変わる必要があります。なにを変えるのか、それは意識です。
そのゴールは、神と同質同等の意識となることです。
神とは愛であり、真理です。
そしてそれは私たちのこころの本質であり、そもそも内側に等しく備わっているものです。
その質は無限であり完全であり分離と対極がありません。
そもそも持っているというのになぜ私たちは変わらなければならないのでしょう。
変わる、というのは戻るという意味です。
しかしながら、戻るという言葉から私たちが想起するものは既知の知覚に戻ることです。
すると私たちは既知のもののなかに愛を探してしまいます。
そこには愛はみつかりません。ありません。
愛とは未知です。この身体にとっては。身体は過去しか知らず、対極のあるものでしか自己を図り知らないのです。
私たちは変わろうとする時、既知の良いところはとっておいて、悪いところを変えたいと願います。
既知の良いところに愛はあると信じています。
その思考は二元性であり、二元性に愛は属しませんから、愛であると信じているものは愛ではあり得ません。
愛に戻る時、私たちは自我の思考システムを手放すよう内なる神に導かれます。
ここはだいじょうぶ、ここは問題ないから見直さない、これは自分にとって数少ない良い部分、だからそれ以外の問題のところを直したい。
そう思って手放さないでいると、愛に戻ることはできません。
なぜなら自分の問題を見るように私たちは世界を、他者を、見ているからです。
そして良い部分をたくさん持っているように見える人を手本にし、そのようになりたい、と願うからです。
そのすべてが自我の思考です。
戻るんでしょ、と思うその起点そのものも自我なのです。
自我を離れるには未知という恐怖から完全なる守護を保証してくれる完全な存在への信頼が必要です。
それを請け負ってくれるのは神だけです。
その時私たちは、神を愛するということをします。
その愛が自己に還ってきます。
神の理が私たちに働き、これまで現実と思ってきたものが、単に自我が作り出した投影であり、愛と真理こそが実在だったと気づきます。
世界の逆転はこのようにして起こります。