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トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

違和感

実は、ここ半月くらい、私の中に起こったある違和感について検証していました。 どうやら通過してきたので、ようやくここに書けそうです。 それは、最近日本で初めてのセミナーが行われ 本で紹介され、ネット上でも多くの方が言及している ホ・オポノポノを読んでからのことです。 ヒューレン博士については、昨年mixiで話題になり 彼についての文章を読んでいました。 スピリチュアルの基本とも言える、 すべては自分が作り出している、という原理と ヒプノセラピーでも応用されている 潜在意識の仕組みについての真実を語られているという風に認識していました。 ライトワーカーの間では、すばらしいと歓迎されていた印象です。 それで、最近出た著書を読んでみました。 ところが進めるうちに、ところどころで違和感を感じ始めました。 彼の言わんとする原理に異議はありませんでした。 潜在意識の仕組みについても彼は完璧に理解し それを応用して世界を癒すということを彼はしており すばらしい実績があり、 それは世界に伝えられるのに値するものであろうことは 納得しているつもりです。 私も潜在意識の世界を探求し、それを使って自分の人生を創造し そしてセラピーという仕事をさせていただいてる人間です。 彼がしていることはとても理解ができます。 それでもうちょっととがんばって読んでいましたが 真ん中あたりでその意欲がとうとうしぼんでしまいました。 いったいどうしたんだろう。 みんながあんなにすばらしいと感じてるのに。 趣味の問題ではない。 真実について書かれてる本だぞ。 いったん休んで(こんなこと本当にめったにないのです) 気持ちを新たに最後まで読みました。 読み終わった感触としては 肝心なことが書いていないんだな、セミナーのためのガイドライン的な本なんだろうか、でした。 それはそれでいいのですが。 それから私の中での違和感に向き合う旅が始まりました。 結果的には、いくつかのポイントがみつかりました。 それは、目的と手段がやや混同しているのでは?という点。 彼の言う目的はそれを助けるツールなのでは? 原理についての見解が完璧なだけに その点が混同するのはちょっと恐いなという感じがしました。 私がとても愛を感じる高次元からのメッセージでは 私たちが目覚めていくためのツールがたくさん紹介されています。 そして、この世に無駄なものなど一つもないのだということを常に伝えてくれています。 「…ですからその方法はあなたに合ったものを選ぶといいでしょう。 その中で私にとってとても有効だった一つの方法をお教えします…」と言ったように。 これは単に言い回しの問題ではありません。 そういった在り方を表わした言葉だと私は感じます。 心の傷、という側面を見てもそうです。 私たちの体験はどれもかけがえがありません。 傷を作った出来事すらも、私たちがそれから自由になった時、それは宝になり得るのです。 意識の海にはあらゆる体験による記憶が横たわっています。 私たちはそれを全部消し去ることなんかできません。 消し去る必要もありません。 ヒューレンさんは、それを理解するなんて不可能だからそれを消すんだと言いますが 私は消すなんて不可能だから、受け入れるんだよ、と思います。 その結果辿る道はそれほど変わらないかもしれませんが。 違いとしては、受け入れるためには「理解」はとても役に立つという見解と その作業を目的と見るか方法と見るか、です。 方法とは、先ほど述べたようにいくつもあって、選んでもいいものです。 でも作業を目的と見るなら、それは潜在的にみんながやらねばならないことになります。 そして、まるで一歩方向に進んでいけばゴールがあるような印象を与えます。 そこにはコントロール支配という力が潜む可能性もあります。 でも、何かをしたりどこかへ行くことは私たち人間の共通の目的ではありません。 私は、こう思います。 反対の側面(両極)を受け入れることだよ、と。 すると、私たちは即座に中心に戻ることができます。 そこにいる時私たちは記憶の影響を受けません。(或いは受けにくくなります。) その一つの方法が、自分にありがとうやごめんなさいを言うことかもしれません。 一つのとても美しくシンプルな方法です。 私たちの多次元のボディのすべてが大切で必要です。 いらない体験も感情もありせん。 「こんなものいらない」と思う時、それはもうそこにあります。 遠ざけようとしたり隠そうとすれば 自分が中心から逃げていくことになります。 それと向き合い、受け入れれば(あるということを認めるだけでいいと私は思います) それは変化し始めます。 なぜならこれもエネルギーのひとつであり エネルギーはせき止めず解放すれば自ずと流れていくからです。 結果的に、今日私はこのような自分の思いを書くことができました。 旅の途中で自分の中の恐れと向き合いました。 違和感が恐れから来ていることは薄々わかってはいましたが 体験から言うと、それを消したいと思っている間は決してそれは消えません。 はっきり言えば恐れの正体に行き着くまではそれは消えませんでした。 結局私はその違和感と寄り添って、答えを求め続け、 自分に正直になって、感じ続け、 時には夫に鏡になってもらって思っていることを話し、 鋭い指摘を受けて、うっ、となるような言葉を受け入れることも必要でした。 そしてある瞬間、私はこのことを恐れてた!という気持ちがあふれてきて それを泣きながら夫に話したとたん、それは終わりました。 その間、意識や宇宙について、誰が言っていることが真実か、ではなく 自分の中でどこをどのようにとらまえているのかということを 根底から洗い直す作業をすることになりました。 小さな違和感はこんなにも大きな人生の扉を開けてくれるのだ、と感じました。 私たちに必要なのは小さな指に刺さった棘からも受け取り学ぶ姿勢なのではないかと思います。 真実について語る時、 すべての中に在る神に触れる時、 どうしても人間は謙虚にならざるを得なくなります。 光を伝えるという魂の仕事をする時、 人のフィールドに立ち入ってエネルギーの交換をする時、 その人にしかわからない苦しみを分けてもらう時、 私は私のハートを通して相手の中の神を垣間見ます。 そんな時どうしたって私は そっとひざまづいてにじり寄るようにしか そこへは入っていけません。 常に間違え、損ねる可能性を秘めた人間のからだを持つ限りは。 ですから私は問いかけます。何度も、何度も。 正しい答えなどない。 一つの答えなどない。 私たち人間のひとりひとりがこの地球に存在する理由は 人の数以上にあるだろうし目的もしかり。 そのすべてが調和し、わたしたちは壮大な記憶を宇宙に刻む。 それはやはりどうしたって、美しいのだと私は思う。


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