みなさんこんにちは。心のセラピストAZUです。
昨日は早速「エネルギーを毎日受け取ります」とご連絡をいただきとても嬉しかったです。今日も祈りと瞑想とともに送らせていただきました。夜中にもまたやります。
それにどんな意味があるのかとお考えの方もいるかもしれません。
そうです。私がやっていることは無為です。
そしておそらく、無為でなければならないのです。
例えばヒーリングでは、意図を明確に行うことは有効だと言えます。
同時に意図を明確にするということには多くの罠があります。
現状はこうで、求める結果はこう、ということを頭で認識するとなると、当然ながら自分の価値観のものさしで結果の良し悪しを測ることになります。
しかしながら、真実の法則つまり神のやり方はほとんどの場合と言っていいほど自我の予測を裏切るものです。人間万事塞翁が馬という故事成語がありますが、まさにそんな感じです。
わかっていてもつい、私たちは自分の良かれを望んだりイメージしてしまうものです。こっちのほうが良いに決まっている!と無意識に信じているからです。
神を通じてワークし続けると自分のイメージはことごとく裏切られ、一見良くないと見て取れることが実は、イメージをはるかに上回るすばらしいことに置き換えられていくのを体験します。
前回のブログで「なにを思わないかのほうが大事」だと書いたのは、私たちの思いのほとんどは神という無限の可能性をいつも制限する方に働いていると言えるからです。
神を通じて、というのは特殊ななにかをするわけではなく、ただ本当はそこに実在している最上の法則、つまり神の真理を信頼し、理解に努め、介在を願い、結果を委ね続ける。神と深く親交することです。
世の中では自己実現のためにはイメージすることが大事だと言われていますが、なによりまず自己実現の意味を再定義することが必要だと思われます。
自我を実現することが目的なのか、真我を実現することが目的なのか。どっちの自己なのか。
私たちが自分の幸せと他者の幸せを同時に選ぶことができるのは後者を選んだ時です。前者はどこまで行っても自分だけです。
自己実現を真我の顕現だと再定義すると、すべては好転します。
自我の願い以上の実りがもたらされるからです。
そんなことより私はあれが欲しい、こうなって欲しい、こうなりたい、と思う間は自我の法則に縛られます。自我の法則とはカルマ、因果律です。
真我の顕現を願う時、自我は魂の乗り物となり、魂という愛そのものを表現することが目的となります。自我は次第に魂に従うことを覚えます。それが喜びそのものだとわかるからです。
私が勝手に送り付けたいと願ったのはその、すべてでありひとつである神の通り道である自分でありたいからです。そうであるとき、自分は無限の中にいて、すべてが可能だとわかるからです。
私が本当にわかったことは、すべての人にわかります。
だからもっともっと深く、すべてをよくわかりたいのです。
感謝とともに
AZU拝
トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]沖縄
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