人間が頭脳の能力を高めると先の先まで想定することになる。
起こりうるリスクを想定し、対応策を準備する。
うまくけば人生は想定内に収まるが、内面に平安はない。
想定内だから平安というわけではないことがわかる。
私たちには常に新鮮な喜びが必要だ。
言ってみれば、新鮮な喜びの連続こそが平安だ。
人生は外からやってくるとこの世界では信じられている。
喜びがそうなら不幸もそうだ。
だから、外側からやってくるものを体験していると信じているうちは、私たちに平安はない。
瞑想は、その源は内側にあると教えている。
いや、瞑想を能力向上のツールであると見なすなら瞑想はそこまでだ。
瞑想はそこまでだというのは、人間はそこまでだ、というのと同じだ。
つまり人を、自分をなにものと見なすかで、世界は決まる。
瞑想も然り。
人を心だと見なすなら人は無限だ。
瞑想はその源と私をつなぎ一つにするためのツールだ。
そこには常に新鮮な喜びがある。
ゆえに平安がある。
この真実は世界の逆転を可能にする。
人生は向こうからやってくるハプニングの連続ではなく、みごとな完全性から無限に延長していく愛だ。
この完全性を内に認めるまでは私たちに平安はなく、また無限にあふれ出す驚きも新鮮な喜びもあるまい。
この世界とは真逆の完全な法則を解き明かす手立てが奇跡講座にある。
そして内側にあるそれを本当のことにするのがその学びだ。
瞑想は時間を超えてそれを可能にする。
研ぎ澄まされた頭は、心の恐れに従ってそれを遂行する。
だから私たちは、まず心を研ぎ澄ませなければならない。
研ぎ澄まされた心は、本来の姿をしている。
本来の、愛だけの姿を。