「この場所に見えているものには、何の意味もない。」
奇跡講座のワークブックはこのように始まります。
「このテーブル、この椅子、この手、この足、このペンには何の意味もない」
「あのドア、あの体、あのランプ、あの標識、あの影には何の意味もない」
これが、幻想マトリックスから自由になるはじまりとなります。
こんな概念に一日かけて取り組むなんて、なんだから不穏な感じすら覚えます。
レッスンが進むと徐々に意図が分かってきます。
「私は過去だけを見ている」
だから
「私は、何も今あるままにいていない」
ゆえに
「私の考えには何の意味もない」
となり
「私の無意味な考えが意味のない世界を私に見せている」
とつながっていく。
これは世に言う、「投影」のシステムです。
投影というのは、自分の過去の(無意識的なものまでも含む)記憶が、目の前に映し出されている、という意味です。
「このペンは父からもらったペンで、父は恐らくこんな思いで私にそれを与え、私はそれの思いを受け取りたくはないが受け取った。ペンとしては気に入っているが、父の思いに反してそれを使っていることに罪悪感を覚えている」
私たちは目の前にあるあらゆるものに、例えばこんな感じの意味付けをしています。
その意味付けに意味はないばかりか、ペン自体も、永遠のものではありません。
これは「引き寄せ」のようなエネルギーの仕組みを理解する人なら知っていることですので、「だいたい同じこと言ってるなあ」と思われる方も多いかもしれません。
でも、奇跡のコースのような不二一元論(ノンデュアリティ―)の骨組みは、この世のあらゆる法則と言われるものとは根本的に違っています。
この世の法則では「投影のシステムが存在する」ゆえに・・・と考え、
コースは「投影は、存在していない」と言っています。
まったく違うのです。
真逆ですよね。
この世の法則では、この世は投影なのだから、好きな投影を選んで引き寄せればいい、というふうに言います。
コースは、投影という存在さえしないものをあると認識すること自体が恐れを生み出している、と言っています。
まったく違いますよね?
私も心(スピリチュアル)について学び始めた頃はもちろん前者を信じ、実践していました。
そしてある程度までは有効でした。
多分みなさんそうだと思います。
確かに形だけを見てそれをどうこうしようとがんばっているより、背後にある物理法則を理解すれば、テコの原理のように重たいものを動かすことはやりやすくなります。
でも、そこには限界があります。
重たいものを以前より軽々と動かせる自分になれれば、しばらくはそんな自分を愛せる気がするものです。
周囲からも認められるし、愛されているような気さえします。
でもそれは、条件付き、期限付きであって、本当は愛ですらありません。
自我の承認欲求が満たされた(ような気がする)だけなのです。
なりたい自分になる方式のセラピーや自己啓発も、ほとんどすべてこういうからくりになっています。
投影のシステムを理解するのは、私たちは既にと投影しか見ていないということを理解するためです。
それ以上でも以下でもありません。
意味のない、価値のないものを最も重大な真実の位置に据えて生きているという誤りに気づき、同時にそれではない、真に見る見方を学び始めるのが奇跡講座です。
この世の法則はある程度までしか機能しません。
幸せや豊かさや癒しや健康法や治療、いのちと創造のすべてについて言えます。
そこに愛は介在していないのです。
自由であるということは、限界がないことです。
制限の中である程度自由というのは不自由ということです。
どちらを選びますか?選べますよ、と、真理は私たちに語ります。
10月15日㈰のオンライン瞑想会はお席に余裕がございます。
奇跡講座を学びたい方、学んでいる方には特に、非常に強力な誘導瞑想です。
ぜひご参加をご検討いただけたら嬉しいです。